2013年5月18日土曜日

ピアノ再生プロジェクト始まる!

斉藤さん車渋滞で約1時間遅れでご到着、入って来るなりピアノを開け始める。
見るのを楽しみにしておられた様子。

アクション、鍵盤を外し、フレームがよく見える状態になる。
フレームの形、フレームを固定してあるボルトの形から、ドイツ製のフレームではないか、とのこと。



自分の制作するピアノに思いを託した制作者は、ピアノの部品のどこかに自分の名前を残すと言う。大抵は「ゲタ」と呼ばれる鍵盤両脇の箱形の木の裏にあるそうだが、これにはない。
さてどこだろうか…と鍵盤のはまっている枠の下にある木枠をひっくり返すと…


ありました。
「横濱ピアノ工場鍵盤部作製(横浜ピアノ鍵盤部印)  [第弐号]
  貳千五百九十四年十一月十二日」
の記述が。

「貳千五百九十四年」は皇紀だろうか?だとすると、西暦になおすと-660年で1934年、昭和9年となる。「十一月十二日」が旧暦だとすると、12月18日である。
斉藤さんのお話では、「横濱」と明記されているのは非常に良い判断材料になるそうだ。

その当時、横浜にあったピアノ工場は3つ程で、西川、シューピアノ、リーピアノで、フレームが少し浮かせて取り付けられている様子から、これは西川で制作されたのではないか、とのことだ。「プリマトーン」名のピアノを作っていた工房の可能性もあるそうだ。

アクション、フレームはドイツ製のものの様だが、鍵盤は日本で作られている。
鍵盤の切り出し方、象牙の質・張り方は非常に丁寧、とのこと。
ただ、鍵盤の材質については、現在では木目が切り出し口に7本以上出ているものを使用することになっているが、これは5本ぐらいしか無いものを使っている。

木材を寝かせて乾燥させる、など当時では行われず、1980年代に入ってから乾燥技術が取り入れられるようのなったそうだ。なので、初期のピアノでアメリカに輸出されたものなどは、現地の乾燥でバラバラになり不良品として戻って来たそうだ。

アクション部は、シュトゥットガルトに工場のあるレンナー制作のもの。商標に、「1884 Lenner 1934  50周年記念」とある。アクション部分も当時のものとしてはきれいに残っている印象がある。


共鳴板も目が詰んだ木材を使用し、非常によくできているそう。外身のハコに関して言えば、このスタイルは1920年代ドイツのものを真似てあると言う。

修理の必要な点として、
・反響版:継ぎ目の割れを、薄く削った木片で繋いで補修する
・ピン版:割れていると思われるので、交換する
・低音部下のコマ板:割れて修復した跡がある。割れ目から歪んで右へ少しずれている。交換する。
・ハコ:傷や傷みのあるのをきれいにするには、塗装を丁寧に落とし、ヤスリをかけて再塗装する。はがした時点できれいな木目であれば、木目を残す仕上げでも良いのではないか。

ピン板はフレームの裏側にあるので、外して交換するには、全部解体しなければならない。
現在ではイトーシン(浜松・東京)という会社のみ弦の制作をしている。
弦はスウェーデン鋼という金属で作られるのが良いものだそうだ。
昔はピアノの内部の部品を作る技術が無かったので、香港(英領だった)から部品を輸入し、鉄骨に合わせてピアノを作っていた。

0 件のコメント:

コメントを投稿